+妄想
ロンドンで一番暑い日 (妄想話)

「ご、ごめん!」

角を曲がろうとしたイブカに、ぶつかったアルが謝る。
この夏の暑気で足元が怪しいのか、
アルの謝罪をイブカが聞くのは、今日はこれで二度目だ。

視線も向けぬまま、イブカはその言葉を聞き流す。
どこへ行くのか知らなくても、それでも後をついてくるから。
アルはため息混じりに、汗に濡れたシャツの首元を引いた。

「しかし、今日は暑いなぁ…」

「37.6度オーバーだからな〜」

「えっ、そんなに!?」

「ニュースで言ってるぜ〜」

手元のモニターを見つめたまま、イブカが答える。
俯いた黒髪の合間から、白い首筋が鮮やかに浮かび上がる。

(やっぱ夏向けに、装備の改良するべきか〜?)

〔シン〕の冷却液チューブが通ったイブカのジャケットは、
冬は暖房を兼ねた優れモノだが、夏場はたまったものではない。

「テムズ河の大観覧車、ゴンドラの中が暑すぎて止まってるみたいだ〜」

「信じられないよ、ロンドンの夏がこんなに暑いなんて…」

額の汗をハンカチでそっと拭いながら、
アルが責めるような視線を、傍らを歩くイブカに向ける。

「暑いのに、長袖だし、赤いし…」

「赤いのは、関係ねーだろ!」

アルの声に含まれる、明らかな不満の色。
その意味が掴めぬイブカが、眉根を寄せて言い放つ。

そのまま、ふいと顔を背けて角を曲がろうとする。

そこで再びイブカにぶつかりそうになったアルが、慌てて身を避けた。

「……」

「……」

気まずい沈黙のまま、二人の視線が合う。
さすがにこれはおかしいと、イブカも気付いた。

「あっ!」

最初に沈黙を破ったのは、アルの方だ。
広場の向こうに目を向けて小さく叫ぶと、イブカの足元を指し示す。

「ここで、待っててくれないか!?」

「ああ?」

その理由をイブカが尋ねるより早く、アルの背中が広場へと走り去る。
同時に、イブカの視界は激しい白光に包まれた。
その眩しさに、一瞬目が眩む。
強く落ちる夏の光は、剥き出しの白い首筋を痛い程に焼いた。

影だ。

それでもイブカより、上背を持つアルが太陽の側に歩いていたから、
直射日光をあまり受けずにいられたのだ。

「バカ、だよな…」

方角を変える度に、何度もぶつかりそうになったのもその為で。
アルは言葉になどしないから、それに自分は気付きもしない。

ぼんやりと、視線を夏の空に向けたイブカの首筋に、
冷たいものが押し当てられる。

「ひゃッ…!?!」

驚いて裏返った声を呑み込んで振り向くと、
濡れたハンカチを手にしたアルが、戻って来ていた。

「大丈夫か、イブ?」

どこで買って来たのか、
もう片方の手には、溶け始めたソフトクリームを持っている。
きょとんと見つめるイブカに、アルがそれを差し出した。

「人さらいのオッサンみてー」

ソフトクリームを手にしたイブカが、柔らかに笑う。

「冗談言ってないで、そんな格好して人より暑いんだから!」

アルはそう言うと、再びイブカの上に影を落とした。
イブカはソフトクリームに喰い付きながら、
サンキュと呟いたが、それはモゴモゴとしかアルには聞こえない。

「そういえば、気になってたんだけど」

「ああ?」

「どうしてイブは、いつも赤い服なんだ?」

「カッコイイからに、決まってるぜ〜」

「赤が?」

「オレに似合うだろ〜?」

少し暑さが和らいだのか、イブカが踊るような軽やかさで身を翻す。
まるで、水の中をヒラヒラと泳ぐ魚のようだ。
アルが瞳を細める。

金魚だ。

以前に日本の祭りで見た…
浅くて四角い水槽の中で、ヒラヒラと泳ぐ小さな赤い魚。

「アル?」

「僕も少し、涼しくなったような…気がする」

「何だ、それ」

秘密、とアルは笑って額の汗を押さえた。


#2003年8月10日のロンドン中心部設定で。
 ウチの妄想アルはいつもヘタレなので、次は絶対かっこいいアルをと思ってたのでした。
 お世話になったデジホスキーの方々へ、今年の暑中(残暑)見舞も兼ねまして…
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