+妄想(イタダキモノ)
日常


「イブはいつも、耳掃除はどうしてるんだ?」

「…は?」

あまりにも唐突すぎた質問に、イブの口元から食べかけの菓子のカスがこぼれ落ちた。

特に気にした様子も無く床へ払い落とすと、同居人は不服そうに眉間へとシワを寄せる。

「なんだそれ?」

「いつもヘッドホンを付けたままだから、どうしてるのかと思って」

実年齢よりも幼さを抱かせる容姿に疑問を浮かべながら、アル・ワトソンは顎に指を添えた。

成り行きから始まった二人暮らしも早いもので、もうすでに半年以上が経過しようとしている。

しかし、随分な月日を共に過ごしているにもかかわらず、未だにイブがヘッドホンを外している姿を見た試しが無かった。

水や湿気が大敵な電子機器を風呂場にまで持ち込むのだから、ウェアラブル・コンピューター「シン」との余程な信頼関係が伺えるものの…。

「特に気にしたことねぇな〜」

何とも間延びした返答に、蒼い双眸が大きく見開かれる。

開いた口が塞がらないとでも言いたげに。

「そんな不摂生なことをしていて、病気にでもなったらどうするんだっ!!」

「…なに怒ってんだよ?アル…?」

間髪入れずに怒鳴りつけられて、イブは定位置であるソファに寝転んだ姿勢のまま疑問符
を浮かべた。

たかだか数年ばかし耳の穴の手入れを怠った…。

たったそれだけの些細な物事で、どうしてそこまで熱心に叱咤されなければならないのか?

相手の真意を計り倦ねて、イブは気だるい様子で天井を仰いだ。

かと言って、価値観の相違を今更あれこれと議論するのも面倒臭い…。

「……………」

ちらりと横目で覗うと、今度はいやに生真面目な横顔が何やら思案している。

いつになく引き際の悪い様子に雲行きの怪しさを感じなくも無い。

「なぁ、イブ…僕に、耳を掃除させてはもらえないかな?」

「はぁ?」

大袈裟なほどに甲高く漏れた、素っ頓狂な一声も不可抗力では無理も無い。

多忙な職務環境に専念するあまり、とうとうどこかしらがイカレたか…?

予測の域をはるかに超越した発言に、イブは珍しく露骨に困惑してみせた。

「こう見えて、僕は耳掃除が得意なんだ…試しに掃除させてみてくれないか?」

とても20代半ばの醸し出す雰囲気とは考え難い、実に子供じみた表情を浮かべながら
アルは瞳を輝かせている。

とりあえず落ち着け…と、明らかに普段と異なる反応を見せる同居人を、イブは隣の席を
譲り座らせた。

これでは、どちらが保護者役なのだか疑わしい…。



「へぇ〜」

机の引出しから取り出されたあるものに、イブの興味がわずかながらも注がれた。

意外と手応えのある反応が嬉しいのか、アルは満足気に表情をゆるませる。

「まさかロンドンで「耳かき」が見られるとはな〜」

東洋の島国をしばし懐かしむ…。

「部長にいただいたものなんだけど、これが結構、面白いんだ」

面白い…?

連想している行為には似つかわしく無い台詞に、イブの表情が険しく曇る。

しかし、あまりにしつこくせがむ態度に根負けしたとでも言うべきか…。

「今回だけだからな」

仕方なくヘッドホンを両耳から外すと、イブはさも大切そうに両手で抱えた。

正直、期待していなかった展開に一瞬だけアルは動作を停止させたものの、

「それじゃあ、ここに頭を置いて横向きに寝てくれるかな?」

心底から溢れる満面の笑みを浮かべながら…ポンポンッと、自分の太股を軽く叩いた。

今度はイブの動作がピタリと停止する…。

「なんで耳掃除をするのに膝枕なんだよ!?」

咄嗟に立ち上がりながら反論するイブを、言葉の意味が理解できていない様子でアルは
ぼんやりと見上げている。

「なんでって聞かれても…ただ僕がその方が掃除しやすいだけだから」

明らかに他意のこもらない対応に、奇妙な敗北感に苛まれて視線を逸らせた。

これ以上ムキに抵抗するのも馬鹿馬鹿しく感じる程に…。

個人の住居であるにも関わらず、イブは何故か人目を意識して周囲を見まわした。

当たり前の事なのだが誰も居ない状況を改めて確認すると、ゴホンと咳払いをひとつ漏らし
つつ遠慮がちにソファーへ腰を落とし直す。

(くそ〜…覚えてろよっ)

そして、なんとも投げやりな面持ちで成り行きへと不本意に身を預けた。

予想していたよりも柔らかい温もりに、いっそうの羞恥心を煽られる。

どこかでまんざらでも無さを抱いている自分に、やり場の無い怒りがふつふつと込み上げた。

「久しぶりだから腕が鳴るなぁ」

相手の複雑な心理状態など知る由も無く、すぐ間近まで迫る顔面からは呑気に鼻歌まで
漏れる始末。

「前まではトムがさせてくれてたんだけどね…ウルフもエミリアも何故か嫌がるんだ」




ゴリ…



「!?」

ありえない音と共に訪れた得も言われぬ激痛に耐え兼ねて、イブはたまらずに飛び起きた。

「急に動いたら危ないじゃないかっ」

「うるせ〜!!」

目の端に滲んだ涙を拭いながら、微妙に観点のズレた指摘を一喝する。

耳の奥がジンジンとうずいて気持ちが悪い…。

徹底的に罵倒してやりたい衝動に駆られたが、思考がうまく働かず言葉が浮かんで来ない。

「ちょっと待ってよイブ!」

隙をついて逃走を図ろうと踵を返したイブの腕に、アルが慌ててしがみついた。

「何か気に障ったんなら謝るから、頼むよ」

「ふざけんな!謝って済むならアンタは失業だ〜っ」

悲惨な先行きを案じて拒絶する一方と、至福のひとときを中断されて焦る一方との、意見の
食い違いに折り合いがつく気配は無い。

「あとでケーキを好きなだけ御馳走するからっ」

…しかし、苦難の先に見返りが用意されているのであれば、強固な意志も揺らぐというもの。

ケーキ食べ放題の誘惑にすっかり魅了された欲望が憎い…。



ガリ…グリ…ゴリゴリ…



拷問にさえ匹敵する生き地獄を味わいながら、半ばヤケ気味にイブはひたすら耐えた。

今にも遠退きそうな意識を懸命に保ちつつ、腕の中の相棒だけを支えに強く抱き締める。

そして今更ながらに…あの男の執拗なまでのアルに対する執着ぶりに背筋を震わせた。

好敵手と見込んだ相手は色んな意味で手ごわい…。

「…はい、終わったよ」

永遠とも錯覚した苦渋の時間はようやく終末を迎えた。

正確には片方の耳の掃除がまだ残されているのだけれど、ほんの数秒でも開放されるだけ
でもおおいに有り難い…。



ふぅぅぅぅ…



「うわぁあぁぁぁぁぁああぁぁっ」

最早、なりふりになど構っていられなかった。

頭部に添えられていた手の平を払いのけ立ち上がると、勢い余ってイブは本棚に背中を
へばりつかせた。

「なっなっ…なにすんだっ!?」

自然と声が裏返る。

吹きかけられた吐息の感触が生々しく残る耳たぶを、意識することすらに抵抗を感じた。

「え?何が?」

あくまで知らぬ存ぜぬを主張する素振りにすら、故意的な策略を疑わずにはいられない。

彼の度を越えた鈍感さなど、平素から存分に思い知らされているハズなのに…。

それほどまでに、イブは激しく動揺していた。

そして同時に、拭い切れない屈辱感にも煽られて、ぐっと奥歯を噛み締める。

たった1人のたわいない言動に翻弄されているだなんて…冗談じゃない。

崩れかけたプライドを必死に繋ぎ止めながら、おもむろにヘッドホンを装備した。

「イブ!?まだ片方が残ってるよっ」

「うるせ〜!片方だけでも付き合ってやったんだから文句言うなよなっ…ケーキ忘れんなよ」

そして素早く出入口へと駆け寄ると、捨て台詞もそこそこに身を翻した。

これはあくまで逃走では無く、一時撤退なのだと主張しながら。

自身の辞書に「敗北」の2文字など有りはしないのだ、と。

「最後に笑うのはオレだ〜!!」



後日談。



「ツブス!!     Ib」

不可解な怪文章をメールで一方的に送りつけられて、どうにも心当たりが浮かばずに淡い
ブロンドを青年は無造作にかきあげた。

「なにを怒ってるんだ?あいつ…」


良呼さまからの、ありがたきイタダキモノです〜!!
 アルの「こう見えても」が出た瞬間、抱腹絶倒のあまり、しばらく先に進めませんでした。
 アルッ、あんたは悪魔ですかーッ!!?(爆笑)
 イブの最大のライバルはトムかも知れないけど、彼らの最大の敵はアル当人に違いない…。
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