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休日の過ごし方27 (妄想話)

リージェンツ・パーク内にある、クイーン・メアリー・ローズ・ガーデン。
円形をしたこのバラ園では、6万本のバラが花期を迎えている。
爽やかな風の中、咲き誇る花々からの甘い香りが立ちこめる。

トムは花の1つ1つを眺めては、ゆっくりと楽しんで歩いていた。
その背後に声が掛かる。

「ニンゲンの手で咲かせた花も、思ったよかキレイだよな〜?」

聞き覚えのある特有のイントネーション。
だがそのトーンは、記憶にある彼のものではない。
身体を硬く反応させたトムが、恐る恐る振り向けば、
そこに立っているのはチェシャ猫の笑みを浮かべたイブカだ。

全身の緊張を解くと、トムは僅かに瞳を揺らした。

「…驚いた」

「そーか」

イブカは、さらりと答える。
合わせたの視線の位置が、以前よりも高い。

「シンのコントロールが上手くいかずに、苦労したぜ〜」

「それは…大変だったな」

向けられたトムの声は、いつもよりも硬く冷ややかだ。
イブカが、ゆっくりと目を細める。

「…やっぱ、似てきたか?」

トムの考えていることぐらい、イブカにはすぐ分かる。
鏡をみるたびに、自分でもその自覚はあった。
ホームズの血の繋がりは、
成長する自分の顔へと確実にジャックの面影を映し出している。
そして今は、低いトーンへと変わりつつあるこの声も。

「頭では分かっているんだ、でも」

「いいさ、ダメなもんは仕方ねーし。
 ホントは少しずつ、慣らしてたつもりだったんだけどな」

「えっ?」

驚いたトムが、イブカをじっと見つめる。

「まさか、お前…それが目的で?」

イブカの返らぬ答えは、声に出さない肯定だ。
トムの表情が複雑なものへと変わる。

これといった所用もないのに、自分の居場所を突き止めては現れる。
そんなイブカの行動を、トムはずっと不思議に思っていた。
あれは、イブカなりの気遣いだったのか。
ジャックへの憎しみを再び刺激しないように、
自分の成長する姿へと、慣らさせているつもりだったのだろうか?

イブカは、笑って話題を反らす。

「それよっか、さっきからいい匂いがすんな〜?」

「ああ、それは… そういう種類のバラなんだ」

イブカの傍らに咲く白いバラを見て、トムが答える。
バラの中には強い芳香を持つ種類もあり、
中でもイングリッシュローズには、ほとんどの花に素晴らしい香りがある。

「そういう種類の、バラなのか〜?」

イブカは、バラにではなくトムに近付き鼻を寄せる。
トムは驚いて背後に身を引いたが、
イブカの示す匂いの元に気付くと、心底呆れた視線をイブカに向けた。
花の香りや美しさよりも、彼の興味は未だ違うところにあるらしい。

「お前、犬か?」

「犬は嫌いだ〜」

「分かってるよ、ほら」

差し出された紙包みを、イブカが素早く受け取る。
中を覗くと、焼き菓子の甘く香ばしい香りが広がった。
ジンジャー・ビスケットだ。
イブカの食欲が、否応なしにそそられる。

「サンキュ」

言うなり、取り出したビスケットを口に放り込む。
まるで警戒心のカケラもない。
イブカの向ける満面の笑みに、トムが苦笑する。
その屈託のない表情は、記憶に変わらぬ子供のままだ。

「うめ〜! お前、意外とキヨーだな〜?」

「意外性では、ヴァイオリン演奏の方が上だと思うけれど?」

「けっ!」

イブカが拗ねるように顔を背けたが、
まんざら悪い気ではないことは、トムには分かっている。

「先輩への借りも、あれで返済してるのか?」

「オレがアルにあるのは、貸しだけだ〜」

「心配かけてばかりのくせに」

「どーいうコトだ?」

イブカの表情が変わり、真っ直ぐにトムを睨みつける。
トムも負けずに睨み返す。
何でイブカに敗北しようとも、これだけは負けを譲れない。
トムは本当に、アルの様子を心配しているのだ。

「ウルフに呼び出されて、お前の居場所を聞かれた。
 お前が教えないものだから、ワトソン先輩を心配させてるんだって」

「暴力男のヤロー、よけーなお世話だぜ〜」

ふいと顔を背けたイブカは、
そこで思いもかけない男の姿を目にして驚いた。
反射的に身を強張らせて、素早く相手との距離を開いて叫ぶ。

「――な、なんで猫がココにいるんだッ!?」

マオは答えの変わりに、鋭い視線をトムへと流す。
イブカが目を見開き、ゆっくりと蒼い瞳を向けた。

「…オレを、だましたのか」

「騙したわけじゃないさ、一人で来ると言った覚えはない。
 ワトソン先輩やウルフを呼ばなかっただけ、ありがたく思うんだな」

トムが冷たく言い放つ。
イブカは口をついて出そうになった言葉を、唇と共に噛み締める。

「イブカ・ホームズ、今は問答をしている場合ではない」

「けっ! テメーが言うコトなんか――」

「アル・ワトソンが行方不明だ」

マオが動ぜぬ口調で、イブカの言葉を遮る。

「どういうことです!?」

「どーいうコトだ!?」

驚いた二人の声が、見事にハモる。

「ダニエル・アンダーソンという男が、関係していることはわかっている。
 こちらの持っている情報を渡してやる、急いでワトソンを探し出せ」

トムが頷いて、マオの差し出したディスクを受け取る。
イブカはそれを無視したまま〔シン〕にコマンドを発している。

「何をしている?」

マオが怪訝に問いかける。
イブカは〔シン〕の答えを聞くと、返事もないまま走り出した。

「待て、イブカ! どこへ行く!?」

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