+妄想
優しい毒5 (妄想話)

翌日の昼を過ぎても、イブカはホテルの部屋に篭ったままだ。
あまり干渉しないほうが良いと判断したアルは、
ロビーの喫茶室で待ちながら、様子を伺うことにした。

運ばれてきた紅茶の香りが、アルの気分を落ち着かせる。
ふと背後に人の気配を感じて振り向くと、
いつの間にか部屋から出てきたイブカが立っていた。

軽い、テジャヴ。
昨日の蹴りを思い出して身を固めるアルに、イブカが意地悪く笑う。

「なーに、ビビってんだ〜?」

「い、いや…」

いつもの調子の軽口に、アルは緊張を解く。
イブカがぐるりと周り込み、向かいの席へとカラダを収める。

「ハラ減った〜」

「何か頼むかい?」

「ん〜」

紅茶、それに蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキ。
注文したメニューを待ちながら、イブカはシンに何かを呟き続ける。

紅茶を飲みながら、アルは昨日のメールを思い出していた。

ケイから届いたメールは、
イブが2人の男に追われて、捕まりかけたという内容だった。
一緒にいたジュンが、ケイに話してくれたらしい。
だが最大の問題は、イブが何の事件に巻き込まれているかだ。

(どうせ聞いたって、素直に答えてはくれないだろうなあ…)

目前のイブカは、運ばれてきたパンケーキと戦闘を開始している。
懸命なその様子に、思わずアルの表情が和む。
こうしていると、ただの子供にしか見えないのだけれど。
ただ、それだけの事なのに。
どうして誰もが、それをイブに許してあげられないのだろう。

「うめ〜!」

満面の笑みでパンケーキを食べるイブカは、
アルの視線に気付いて手を止める。

「何だ〜?」

「いや… その、おいしそうに食べるな、と」

きょとんとアルを見返すと、
イブカは口に運ぼうとしていたフォークを、アルに向かって突き出した。

「じゃー喰っか?」

フォークに刺さったパンケーキの塊から、とろりと蜂蜜が流れ落ちる。
それを見たアルが、慌ててイブカの手を押し戻す。

「いっ、いいよ!」

アルは濡れたおしぼりをつかみ、テーブルに落ちた蜂蜜を拭い取る。
イブカは、返されたパンケーキを自分の口に収めた。

うーん、とアルが唸る。
テーブルクロスについた汚れは、完全には取れないらしい。
残ったシミをもう一度睨みつけて、顔を上げる。
パンケーキの最後の破片に、イブカはフォークを突き立てたところだ。

その背中を通り過ぎ、
喫茶室のガラス越しに立つ青年と、アルの視線が合った。

日本人離れした顔立ち。
自分と目が合う瞬間まで、視線はイブに向いていた。
アルの表情が険しくなる。
青年は驚いたように目を見開いた。
続いてそれは、慈しむような微笑へと一転する。

「アル?」

アルの視線を追って、イブカが背後を振り返る。
だが視線の先には、何もない。
アルの目は、一点に留まったままだ。
目前のイブカさえも、捕らえていない。

「―――アルッ!!」

「えっ!?」

イブカの叫びに、
我に返ったアルが、不思議そうに瞬きする。

「どうかしたの、イブ?」

「どーかしたのは、あんたの方だぜ〜」

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