+妄想
優しい毒8 (妄想話)

ホテルを飛び出したウルフは、まだ戻ってこない。
仕方なく、アルはイブカの見張りをアイリーンに頼むと、
待ち合わせの喫茶店へと向かった。

「すみません、遅くなりました」

「いいえ、こちらこそ呼び出してごめんなさい」

カジュアルな服装で現れたアルを、啓が意外そうに眺める。
物腰穏やかで、少し頼りなさそうに微笑む青年は、
こうしていると、とてもヤードの捜査官には見えない。

「アルは仕事中、いつもスーツ姿だったと思ったけれど、
 どういう心境の変化なのかしら?」

「それは…」

アルは、昨日のイブカのイタズラを短く説明する。
頭からシャワーを浴びて、身体から匂いは取れたと思い安心したが、
布地についた香りは、そう簡単には取れないものらしい。
今朝になって、
アルのスーツに香水の匂いが残っていると気付いたアイリーンが、
クリーニングを断固主張したために、着替えが間に合わなかったのだ。

「イブくんったら…」

啓が、苦笑する。
先日の匂いの話から、そんなことを考えていたなんて。

「ところでケイ、
 イブが何の事件に関わっているか、そちらで何か情報は入りましたか?」

「それなんだけど…」

啓の表情が一転して曇る。

「アルは、イブくんのフェアリードを知っているわよね?」

「ええ、それはもちろん。
 2000年問題の時には、大変な目に遭わされましたから…」

忘れるはずもない、アルが初めてIbの名を知った事件だ。
騒動を引き起こしたのは、イブカの仕業ではなかったが、
元凶であるフェアリードの製作者は、紛れもなくイブカだ。
本人は可愛いバーチャルペットなどと称しているが、
使い方如何では、ウイルス以上に危険なプログラムとなる。

「フェアリードには、ワクチンが存在しない。
 そうイブくんは言っていたわ。
 だからあの時も、”餌”で釣るしかなかった…でも」

「でも…?」

「そのワクチンが、存在するらしいの。
 最近、ネットのアンダーグラウンドで、ピックアップされた情報よ」

「それが本当なら、悪い話ではないのでは?」

アルが不思議そうに問う。
ワクチンが存在するならば、フェアリードを悪用されることもなくなる。
イブカの力を危惧するものにとって、それは喜ばしい事ではないだろうか?

「問題は、本当にそれが実在するものかってこと。
 単なるウワサならそれで終わるでしょうけれど、
 意図があって流された情報なら、その目的が気になるわ」

「イブに接触してきた連中に、関わりがあると…?」

「ないとも言い切れない…けれど、まだ断言はできないわね。
 ここから先は、アルの仕事だわ」

「そうですね…
 イブが何か、知っているといいんですが」

真摯な表情で、アルは考えを巡らせる。
その不安気な様子に、思わず啓が励ましを入れる。

「大丈夫よ、イブくんは強いわ」

「でも、それは…」

アルが、何か言いたげな表情で口を開いて閉じる。
不思議そうに啓が首を傾げるのを見て、困ったように微笑む。

「こちらでも、何か分かれば連絡します」

「ええ、よろしくお願いするわ」

アルは何を言おうとしたのかしら。
啓には、分からない。

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