+妄想
優しい毒10 (妄想話)

「その大学病院って、……か?」

「おう、確かそんな名前…って、なんで知ってんだ?」

「イブだよ! 今日の昼、そこに直接乗り込んだらしいんだ」

アイリーンの報告をもとに、
アルは、昼間イブカが向かった先を検証していた。
イブカの目的は病院ではなく、病院にいた男の方だ。
二人の会話は日本語だったので、アイリーンにはわからない。
しかし、フェアリード、ワクチンという言葉は確かに聞き取れた。

「はははっ、相変わらずの度胸だぜ」

状況を楽しむように、ウルフの口元が引かれる。
現場調査だと言ってホテルを飛び出したウルフは、
戻るなり、持ち込んだウイスキーと日本酒の瓶を空け始めていた。
完全に酔いが回らぬ前にと、今はアルが必死で問い詰めているところだ。
空になったグラスを改善すべく、ウイスキーのボトルへと伸びる手に、
アルが咎めるような視線を向ける。
しかし形式に収まらぬウルフにとって、それはむしろ挑発行為に等しい。

「でもウルフ、
 イブを追っていたのがその男だと、どうして分かったんだ?」

「そんなの、勘に決まってんだろ」

「そんな、無茶苦茶な!?」

「っていうのは冗談だ。
 イブ公が言ったじゃねえか、香水をブッかけたって。
 ホテルの周りをうろついてた怪しい男のスーツが、
 お前の頭とおんなじ匂いだったから、尾行してみたってわけだ」

「それは……凄いな…」

アルは棒読みのセリフのまま、乾いた笑いを浮かべる。
もはや、どこにツッコミを入れていいのか分からない。
手にしたグラスをあおり、ウルフが問いかける。

「で、どうする?」

「うん、それなんだけどウルフ。
 僕らはみんな、間違っているんじゃないかって気がするんだ」

「間違い?」

「ケイの話でも、今回の事件にフェアリードが関係あるのは間違いなさそうなんだ。
 イブがハッカーだってことを僕らは知ってる。
 だからウイルスといえば、コンピュータに感染するものだと思うだろう?」

「そりゃまあ…お前は元々、そっちが担当だしな」

ウルフが決まり悪そうに、髪をかきあげる。
今はイブ専属の追っかけ捜査官と言えなくもないが、
本来アルは、ネットワークがらみの犯罪を追うIT課の職員だ。

「でも病院関係者なら――
 ウイルスと聞いて真っ先に思いつくのは、人間に感染する病原体じゃないだろうか」

「大学病院、か?」

アルが頷く。

「どこかで情報が間違っているんだと思う。
 故意か偶然か…恐らくイブは、関係のない事件に巻き込まれているんだ…」

真剣なアルの表情に、ウルフはグラスを傾けていた手を止める。
優しさで、迷いに揺れるばかりの明るい青の瞳。
なのにこんな時にだけは、真っ直ぐで強固な意志を浮かべる。
微かな痛みと共に、ウルフはその瞳を覗きこむ。
時の流れと共に、
手にしたもの、失ったものが一体どれだけあるだろう。
それでもこの光だけは、昔のままに穢れなく変わらない。

「なあ、アル。 お前、イブのことが心配か?」

「当たり前じゃないか。 イブの安全を護るのは、僕の任務だよ」

「任務だから護るのか?」

「…たとえそうでなくても、市民の安全を護るのは警察官の義務だ」

義務か。
残酷な言葉だなと、ウルフは思う。
それでも言葉に偽りは無く、こいつはイブを護ろうとするだろう。
真剣に、自分の命を賭けてでも。
だから…なのだろう。

ただの毒ならば、
あいつも、その杯を口にしなかっただろうにな。

ウルフは手にしたグラスを眺めて、再び飲み乾した。

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